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2017年10月 8日 (日)

ドイツ記⑥ベルリンの壁1

こんにちは。

ドイツ記⑥いよいよ負の遺産に

入っていきます。

20世紀の世界史、戦争の歴史を

象徴するような街ベルリンには

実に数多くの「負の遺産」を展示した

ミュージアム、資料館があります。

今日はその中でも「ベルリンの壁」

に焦点をあてて見ていきましょう。

**--*:**::**

そもそも「ベルリンの壁」とは

何なのでしょうか??

Photo

これは現在のドイツ全図です。右上

ブランデンブルク州の中にベルリン州が

あって・・ベルリンという首都があります。

(オレンジの部分)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そして・・

220pxwestberlin_in_germany_svg

これは私が若いころ?のドイツの地図です。

当時は・・

「西ドイツ」(ドイツ連邦共和国)と

「東ドイツ」(ドイツ民主共和国)に

分かれていました。

白いほうが西ドイツ。

右上のグレーの部分が東ドイツ。

(他の国と同じ色で紛らわしいですが(^-^;)

東ドイツの首都がベルリン。

(西ドイツの首都はボンでした。)

そして赤い部分が「西ベルリン」でした。

え??どういうこと??

**--*:--**--**

そもそもドイツは第2次大戦の敗戦国です。

(日本もそうです。)終戦は1945年。

その後ドイツは米・英・仏が管理する西側と

ソ連(現ロシア)が管理する東側に分割されましたが・・

なんと東側の首都ベルリンも西側と東側に

分かれていたのです( ̄Д ̄;;

ややこしい(;д;) がこんな感じです。

Photo_2

当初は西ベルリンと東ベルリンの間は

自由に行き来が出来ていました。

西ベルリンと西ドイツの行き来も自由でした。

毎日東から西へ(逆も少しあった)通勤する

人も大勢いたのです。(*^-^)

でも、自由主義経済を採用している西側と

社会主義経済を採用する東側では

次第に経済格差が生じてきました。

( ̄Д ̄;;

ファッションや音楽、エンタテイメント、

芸術などでも大きく差がでてきました。

((・(ェ)・;))

60年頃の平均所得は西側が東側の

倍近くあったと言われています。

それで1949年から61年までの

間に実に約274万人もの人口が

東ドイツから西ドイツへと流出して

しまったのです。

( ̄Д ̄;;

特に深刻だったのは優秀な技術や頭脳、

若者の流出。(〃゚д゚;A A゚Å゚;)

それで1952年に東西ドイツの国境は

完全に閉鎖されてしまいました。

それでその後は皆西ベルリン経由で

西ドイツに移住するようになりました。

( ̄Д ̄;;

そこで東ドイツ政府は1961年夏に

突然西ベルリンを囲む壁を建設

し始めたのですΣ(゚д゚;)

Kabe1

そして人々は本当にいきなり家族や友人、

恋人と遮断されてしまったのです。

まずは有刺鉄線で囲まれ・・・

2012_n

その後コンクリートの壁が2枚東側と西側に

並行して築かれていきました。

2308_n

**--*:--**--**

ベルリンの壁というと東ドイツと西ドイツを

隔てる壁かと勘違いしてる人も多いかと

思いますが、

(実は私も何となくそんな感じがしてました)

(^-^;

本当は「西ベルリン」

(東側にある西側の飛び地)

を封鎖するものだったんですね。

東ドイツ政府とソ連は、これで西ベルリンが

東側に従属するようになるだろうと予測

していましたが・・

何と米、英、仏が空輸作戦で西ベルリンに物資や

食料を運んだのでこの計画は失敗に終わりました。

(ρ_;)( ̄▽ ̄)

でも封鎖は続き、東から西へ行くには

厳しい検問がありました。

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P1070529

チャーリー検問所のあったところに現在

建っているチェック・ポイント・チャーリー

(チャーリー検問所博物館)。

壁の跡も一部残されています。

Dsc00902

Dsc01240

この中には、当時の監視の様子や

東から西への脱出を試みた人達の

苦難の様子などが展示されています。

Dsc01308

P1070482

壁は東側と西ベルリンの間に2枚並行して

建てられたので間には広い緩衝地帯が

あったのです。

そこがどんなに恐ろしい場所だったかは

次週紹介します。

そこを・・

P1070517
グライダーを使って飛び越えたり・・

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シュプレー川をボートに潜んで渡ったり・・

P1070519
トランクの中に隠れたり

P1070509

P1070511
穴を掘ったり・・

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P1070505

・・でも愛する人に会うためにここまで

しなくてはならないなんて

何と酷い話しでしょうか。

**--**--**

そして1989年にソ連の衛星国であった

東欧諸国に「民主化革命」が起こったのです。

これはソ連の共産党1党独裁政治の終わりと

市場主義経済の始まり、東西冷戦の終結に

繋がっていきました。

**--*:::*:

そして・・

ベルリンでも反政府デモがΣ(゚д゚;)

Hannseifu

・・そして東ドイツ政府はその5日後に

往来を少し緩和することにしました。

それを当時のスポークスマンが勘違いして

「全面解禁」と発表してしまい、人々が

壁に押しかけたのです。

!!(゚ロ゚屮)屮

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・・そして壁はとうとう壊されました。

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そして東西ドイツは統合されました。

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**--**--**--**

現在壁の跡はこのような感じで残されています。

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**--**--**--

ちょっと今回は硬い内容になって

しましましたが

(^-^;

来週も続き、「ベルリンの壁」2を・・

壁の恐ろしさを一番感じさせる

ベルナウアー通りや

今ではすっかり観光地となっている

イーストサイドギャラリー

(壁の跡に絵が描いてある)

のことなどをお伝えします。

お楽しみに

(*^-^)

因みにベルリンの壁崩壊動画はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=4QWEKeDqxy8

時間がある方ご覧ください。

アートスタジオ海の中道

 

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