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2017年12月 3日 (日)

ドイツ記⑭アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所1

こんにちは。

ドイツ記⑭

今週はいよいよアウシュビッツ強制収容所

についてお伝えします。

***--***--*****

・・・さて、私は宿泊しているホテルから

車で連れて行ってくれる7人くらいの

グループツアーに参加しました。

料金は129ズロチ、約4000円くらい。

勿論外人さんばかり7人くらい。

現地ではポーランド人ガイド?の方の

説明を他のグループの方々と一緒に

聞いていく・・のですが英語の為残念ながら

4分の1くらいしか聞き取れませんでした。

(ρ_;)ああもっと英語力があれば・・。

なのでこれからの説明は後から調べた

ことを付け加えています。

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・・本当は現地で長年日本人の為にガイドを

やってあるこの中谷剛さん(アジア人唯一の

公式ガイド)の説明で回るのが一番理想的

なのですが今回残念ながら予約は

間に合いませんでした。

(;д;)

**:*--*:::::**

・・さて、クラクフから車で約2時間半くらい

走ったオシフィエンチムというところに

アウシュビッツ強制収容所(第一収容所)

があります。

終戦直後にここは戦争の歴史を伝える

重要な博物館としてそのまま残される

ことになりました。

今では世界遺産として色々な国の人々が

見学に訪れています。

・・・・・・・・・

到着すると厳重なセキュリティーチェック

があり、小型バッグのみ持ち込み許可。

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さて、ナチス・ドイツは1940年から

45年にかけて徹底した「アーリア人至上

主義」のもと、(自分達から見た)劣勢民族を

絶滅させるため、それらの民族をドイツ国外

に追放する意味から、「ヨーロッパの中心に

位置する」ポーランドの広大な土地に

強制収容所を次々に建設しました。

この頃のポーランドはドイツとソ連

の支配下にあったのですね。

「新天地に連れていく」

という名目でヨーロッパ各地から少なくとも

130万人のユダヤ人やロマ人(ジプシー)

などが集められましたがその殆どは

ユダヤ人だったと言われています。

*****--*****--***

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1週間、2週間という期間食料も水もトイレも

ない、窓も殆どない貨車に詰め込まれて

くるので着いたときには既に多数の人が

死んでいたといわれています。

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後から取り上げることを隠す為カバンには

名前や住所を書かせていました。

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多数積まれたカバンの山。

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現地での生活を信用させるためにドイツ政府

が人々に買わせた切符。またわりと裕福だった

ユダヤ人の人々から財産を没収するため、

来る前に架空の商店や土地を購入させる

こともあったといいます。

::::::**::::***::::::*****

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これがアウシュビッツ第一収容所の

入り口です。

門には「労働すれば自由になる」

と書かれています。

この門もユダヤ人収容者に作らせたもの

ですがせめてもの抵抗でBの字を逆さに

したという説とこれが当時の流行だったと

いう説があります。

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中に入るとすぐに音楽家の被収容者による

オーケストラの演奏で出迎えました。

建物の中では練習もやっていました。

理想的な収容所であるとヨーロッパ中に

プロパガンダする意味合いが

大きかったといいます。

勿論ドイツ兵達の娯楽目的もあります。

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そこを通過するととすぐに働ける人、

働けない人に振り分けられました。

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このドイツ人医師の指1本で、病人、妊婦、

障がい者など「使い物にならない」人達

(全体の7割ともいわれる)は即ガス室に

送られたと言われています。なので実際

何万人が殺されたのかは未だに正確には

わかっていないそうです。

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これは障がい者から集めた義足類。

**::::::::***

皆靴も服も脱がされますが・・

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働ける人は囚人服に着替えさせられます。

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髪の毛は被収容者によって刈り取られました。

プール全体くらいの大量の髪の毛が展示して

ありましたがさすがに写真を撮る気には

なりませんでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

その髪の毛で繊維、織物を作って輸出し、

国庫に収めていたといいます。

・・・・**・・・・・***・・・・・


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おしゃれなサンダルが痛々しい。

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持ち物は全て没収されました。

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どんな生活が待ち受けているか薄うすわかって

はいたがせめて希望を持ちたいと生活用具を

持ち込んだ、という被収容者の証言が

あるそうです。

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山積みされたメガネの山。

これもほんの一部だそうです。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・

「使い物になる」人達は職業別に分類され・・

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すぐにこのような1日11時間労働が始まりました。

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そのとき使われていたもの。これの下敷きに

なって死んだ人も。

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第二収容所建設の様子。

・・監視員にも被収容者を使っていましたが

被収容者の中でも「身分の高い」ドイツ人

犯罪者などがこれにあたりました。

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食事は、朝はコーヒーという謎の液体、昼は

腐った野菜のスープとパンひときれ。

被収容者のなかにもヒエラルキーがあり

食事にも若干の差はあったそうです。

因みに「身分」の差は・・

ドイツ人

西・北ヨーロッパ人

スラブ人

ユダヤ人、ロマ人、同性愛者・・・・

の順でユダヤ人は最下層でした。

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まともなトイレも無い劣悪な環境の中で

チフスなど伝染病も蔓延し、

すぐにこのような状態になり、、

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1日の終わりは楽隊の演奏に合わせて行進

しなければなりませんでした。が・・労働に

耐え切れずに亡くなった人は被収容者

自身によって運ばれました。

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これは第一収容所内のガス室内部です。

人々は「シャワーを浴びる」といわれて

ここに連れてこられたという。

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これは被収容者がこっそり撮った写真・・

といわれています。良く撮れたと思います。

・・中には本当にカムフラージュのシャワーが

取り付けられていたらしいです。

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ドイツ兵はここからガスの缶をポンと

投げるだけで良かったわけです。

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チクロンBという殺虫剤で32分間で800名を

殺害することが出来たといいます。

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そして亡くなった人達は被収容者によって

この焼却炉で焼かれました。死体処理をする

囚人は「ゾンダーコマンド」と呼ばれ、処理中

に自分の家族の遺体を見つけるという

悲劇もあったといいます。

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情報漏えいを防ぐ為ゾンダーコマンドも

定期的に殺害され、次のサイクルへ・・。

ドイツ兵にとっては収容所勤務は自分が

殺される心配のない「良い職場」だった

という・・・。

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またユダヤ人撲滅の為子どもの収容にも

力を入れていました。

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こんなに可愛い子ども達が次々に送られてきて

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第二収容所には家族用の収監棟もあった

ようですが大抵はすぐにガス室に送られる

ことが多かったようです。

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良い服を着せられて大事に育てられた

子ども達だったんですね。

ここでの「子ども」は身長120センチ以下。

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性別や身長などで一応分類されましたが

学校や孤児院から来た子ども達は先生と

一緒に即ガス室に送られました。

***--***--*****

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双子や、精神障害者などは優秀なアーリア人

を増やす為の遺伝学や人類学の研究の為

10号病棟へ送られました。

上の写真は双子のロマ人の女の子。

双子の縫合なども。
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10号病棟。

ここでは上記の研究のほかドイツ軍がピンチ

に陥ったときの為の対処法を研究する為の

数々の人体実験もすべて麻酔なしで

行われたといいます。

マラリアの対処法研究の為にマラリアに感染

させられることも・・・・。

実際この時期にドイツ医学が発展したという

皮肉な事実も。(メンゲルの法則など)

このような多くの犠牲の上に・・・。

****--***--*****

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収容所の建物の周りは220ボルトの電流が

流れる有刺鉄線で囲まれていました。

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映画「ライフ・イズ・ビューティフル」で

主人公がこっそり放送室に忍び込んで

同じ収容所内にいる妻に「愛してるよ」と

呼びかけたのはこの監視塔だったか??

・・・涙涙の感動の名作です。

**:****---*****

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即ガス室送りにならなかった人達の分類。

ロマ人(ジプシー)、政治犯、共産主義者、

ソ連軍捕虜、同姓愛者、聖職者など・・

全てとうし番号の焼印が押されました。

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政治犯などはこのような独房に入れられ、

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「死の壁」と呼ばれるここで銃殺刑や

絞首刑になりました。

脱走者がでた場合はその10倍の数の人を

無作為に選んで一切の食べ物を与えない

「飢餓刑」に処するなどの懲罰が

行われました。

他の懲罰は・・・・・

「鞭打ち」「後ろ手に縛り逆さに吊るす」

狭いスペースに4人を立たせる

「立ち牢」など。。。。

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このときそうなった人の身代わりになることを

申し出たポーランド人聖職者コルベ神父。

アウシュビッツの聖人と言われ、長崎で

布教活動をしたこともあります。

*****--****--

ああ凄まじい歴史です。

でも伝えていかなければいけません。

・・・・・・・

来週はここから車で5分くらいの所に

作られたビルケナウ強制収容所

(アウシュビッツ第2収容所)と

ベルリン市内にあるホロコースト

記念館についてお伝えします。

https://studio.artuminaka.com/

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